重い足でぬかるむ春を行くースピッツ『春の歌』
春ってなんでこんなに気持ちがいいんだ!!!!
思わずそう叫びたくなるくらい、今日の東京は春だった。
昼休みに厚手のセーター1枚だけで明るい日差しの街を歩いたのがとても良くて、顔を寄せ合うラナンキュラスが可愛すぎて、だいたいのことがどうでもよくなってしまった。
今朝は、今日こそはもう会社に行きたくないと泣きながら化粧をしたはずなのに。
うつ病の特効薬はもしかしたら春なのかもしれないな。
そうだとしたらあれだ、日本はずっと春にしといたほうがいい。
インドにうつ病がいないのは香辛料のおかげだけじゃなくて、なんとなく全てが楽しいかもしれないと思わせる街中の雰囲気のせいなんじゃないかしら。
まあ、インドの地を踏んだことは一度もないんですけど。
わたしもう22歳なんですよね。なんならもうすぐ23歳になっちゃう。
だからもう親のことを理由にしちゃダメだと思うんですよ。
親がどうだろうとそれはもうわたしの問題で、親のことを言い訳にはできない。
親の離婚裁判にあたって、今まで父親にされてきたことをたっぷりまとめ上げるという作業、なかなかにキツいものしかない。
何より、母親の思いを受け止めなきゃいけないんですよね。
ふたりぶんの苦しいを背負う感じ。ひとりぶんでも苦しいことは苦しいのに、ふたりぶん背負うのがなかなかキツい。
でも、それはなんの理由にもならないししちゃいけないんじゃないかと思う。
わたしがうつ状態にある原因が親のことだったとしても、今日どうしても具合が悪いんですはわたしの問題だから親のせいではないんだよ。
大人になるというのは、すべての責任を自分で持つということ。
今日休んだら明日も明後日も、もうこの先2度と仕事に行けなくなる。
そう思うと休むことができない。
泣きながら支度をして、何事もない笑顔で電話を取り次いで、帰ってきてひとりシャワーを浴びながら泣く。
その繰り返しで毎日がすぎる。
それでも、あったかい春の下を歩いたら、ひらひらふわふわしたラナンキュラスが顔を寄せ合う姿をみたら、ひとりへらへら笑っちゃう。
だから春はすごい。春は、悲しいことを全部どうでもよくしてくれる。春はすごい。
わたしはもう22歳で、もうすぐ社会人も2年目に入る。
もう全てが自分の責任で生きていかんきゃいけない。
でも来年もまた春はくるんだよ、凄いことにまた来年も春は来る。
その次もまだ春は来る。
夏秋冬と病んでも、春だけは不審者のはしくれほどに笑いながら過ごせたらそれでもいいかなと思う。
春がくる限りまだなんとか、やれるかもしれない。
などと仕事中に考えていました。
それでは聞いてください、スピッツで『春の歌』。